アレは30代の終わりを迎えた夏のある深夜、ふと刺激的な映画が見たくてDVDを借りにTSUTAYAへ行ったときのこと。
当時、世間ではセンス抜群で完成度の高い「ミスト」や「第9地区」といった映画が評価されてた頃だっと思う。
しかしオレにはそんな「これ見ておいたら通っぽい」映画を見たところで理解できるアンテナなどない、でも映画を語れる上っ面のカッコ良さには憧れていたので「通とやらはコレ観ないだろ」的なただベクトルが明後日の方向に向いただけの「BECK」と「矢島美容室」を借りることにした。
そうこう考えてるうちにTSUTAYAに入店してしばらく店内を物色してたのだが、ここからが本題。
なぜかどこからともなくケモノっぽい香りが漂ってくる…。
長らくお風呂に入れてないイヌでも連れて来てる客がいるのだろうか?いやむしろイヌというよりも、牧場なんかで嗅いだことのあるようなもっとワイルドでツノが生えたビースト的なコロコロとした糞をする白い…そう、コレは紛れもなくヤギだ。明らかにヤギの香りがしたのだ。
「…ヤギいてる?」
不思議に思い、周囲をキョロキョロするがやはりヤギは見当たらない。ヤギの糞でもふんづけたかとゾウリの裏を見ても何もない、というよりここ数年、ヤギなんて見たことがない。なにしろここはTSUTAYAだ。そもそもありえん。
…まぁいいか…と、気を取り直して再び邦画の「は」と書かれたコーナーの棚を「へ…へ…」と見て周る…するとやはりどこからか確実にヤギの匂いがするのだ…
「…うーん…ヤギやっぱいてる?」
深夜で時間も時間だったので、周囲にはヤギはもちろん人すらあまりいなかった。
もしそばに誰かいたらきっとその人を酪農関係の人だと判断してオレの中では解決していたことだろう。
ピンク色のドアでもあればそのドアがアルプスの山奥に繋がっていると信じただろう。
だが人もいなければピンクのドアもない。
ただ、ヤギの匂いだけは間違いなく漂っている…。
いよいよオレの脳内会議は、ヤギの霊や透明になる実験を施されたヤギ…などあり得ない推測を始めていた。
しかし色んな意見や憶測が錯綜していたその時、一瞬だけ脳内会議室が静寂に包まれ、気の弱そうな脳内のオレが1人…おずおずと手を挙げて言った
…あの…オレの匂いじゃないでしょうか?
まさか…はは…と信じられない表情でザワザワし始める脳内のオレたち。
しかし当時オレは30代後半、若い人は分からないかもしれないが30代後半にもなると「肉体的な成長や伸び」とはすっかりご縁も薄れてしまう、とはいえお年寄りを意識するような「退化」もないので肉体変化の「停滞」が何年も続くのである。
つまり成長が止まったと思われる20代の後半から「自分の身体は何も変わってない」と思い続けて10年以上も経ち、完全に油断しまくって脇がガラ空きの状態なのである。
まさかまさかと思いつつ、何度か確認してみる。
するとやはり、しばらくジーっと顔を固定してからフル…そしてフル…と軽く首を上下左右に振ったりすると、その瞬間だけ確実にどこからともなくメェ~っとヤギがやって来るのだ。
…ああ
…間違いない
なんだよオレの匂いじゃねぇかよ…油断していた脇腹に鋭く重いボディブローが突き刺さる。
とうとうオレもこういう匂いを発するオジサンになっていたのだね…パトラッシュ…なんか眠いよ。
大人の階段をずっと登ってたと思い込んでいたオレは知らないうちに階段を登り終えて、オジサン…いやむしろ初老の扉を開けて天国への階段を登っていたんだとここで初めて気づいた。
こわかった。
老化と事故とNHKの集金は容赦なく突然やって来るんだとあらためて恐怖した。
そしてこれがオレとオレの中に住み始めたヤギとの出会いだ。
ひとまずヤギにはユキちゃんという名前を付けた。
これからオレはこのユキちゃんと共に生きていくのだが、このままではいけない、ユキちゃんをどこかに隠さなくては…。
ユキちゃんは自由奔放だ。
いくらしっかりお風呂に入って家を出ようとも毎日夕方4時を回る頃には必ず「メェ~」とその存在をアピールしてくる、出てきちゃだめ!小屋にお戻り。
祈りにも似た思いで特設災害対策本部を設置し、緊急会議を再び開いた結果、とりあえず「臭いモノにふた」というまんまの発想で香水を探すことにした。
以来、オレは人前に出るときには香水をつけるようにしている。
これまで香水など高価なブランデー同様イケメンのみが愛用を許されたまったく縁がない液体だとばかり思っていたのに、それをまさか自分がつけるとは…である。
実際、それをシュッシュッしながら
「なんでオレみたいなブサイクがこんないい匂いしなけりゃならんのだろう?」とつくづく思う、オレのせいでこのシャレた箱のブランドイメージを落としているかと思うと申し訳なくて仕方がない。
肉は肉の匂い、魚は魚の匂い、じゃあブサイクなオレはブサイクなオレの匂いでいいじゃないか。
でもしょうがない、ブサイクなだけでも会社や世間でイヤな思いをさせているのだから、周囲に放つこの放射性ヤギ物質くらいは抑えるのがせめてもの務めというものだろう。そんな思いで、今日もオレはちょっと柑橘系とムスクの混ざったいい匂いがするうんこみたいな状態で出社している。
だからといってオレと会うときにむやみにクンクンしないで頂きたい、なぜならそれに気づいたユキちゃんが遠くからやってくるからだ。
「なんで?」とユキちゃんも困惑するんだろうけどユキちゃんに罪はない、でもそれで困る人だっているんだよ。
まぁそんなこんなで
もし、突如自分から放射性物質が放たれた場合、案外本人が一番驚いてたり狼狽したりするんじゃないんだろうか。
と思った。